高橋憲一の旅ブログ

旅の記憶

山形③ 大正ロマンの息づく町~銀山温泉

銀山温泉のことを知ったのは、東北に行きたいなぁ、と旅行のガイドブックをパラパラとめくっていたときのことです。川を挟んで両側に立ち並ぶ三階建て木造建築とガス燈の写真が、脳に一瞬にして焼き付けられたような気がしました。「ここに行ってみたい!」。まさに大正ロマンそのものの世界です。
先に書いたような事情で山形に行くことを決めたときには、銀山温泉は山寺と並ぶ行きたい所になっていましたから、最初に予約を入れたのも銀山温泉の宿でした。実は僕は個人旅行するときの宿や食事には、それほどの拘りを持たないタイプです。行きたい所に行けるのであれば車中泊も厭いません(流石に今その元気はなくなってきましたが)。しかし今度ばかりは、どうしても泊まりたい宿がありました。宿の建物そのものが国の登録有形文化財に指定されている能登屋旅館です。四階部分に望楼を乗せたこの建物は、銀山温泉の景観を構成するうえでも重要な役割を果たしています。まだ見ぬここの客室から見る川沿いの温泉街を想像していました。
考えてみると、これほど「景観」だけで行きたいと思った所は、これまであまりなかったように思います。歴史や人物や、そういったものとの掛け算で行きたいと思うのが常なのですが、そういう意味では銀山温泉に何の予備知識もありません。改めて読んだガイドブックでは「おしん」の舞台になったことで人気が出たとあり、おしんのふるさととも表現しています。だったらドラマにどういう場所が出てくるのか、ちょっと見てみようという気持ちになりました。

図書館にビデオを借りに出かけると、DVDが全31巻。銀山温泉が出てくるのはおしんの子供時代のことでしたから、「少女編」だけ見ようと、順に借りて見はじめました。いけません。見るとごみ箱がティッシュの山になっていきます。正直に言うと、ドラマに引き込まれ、銀山温泉のことはもうそっちのけになっていました。銀山温泉が出てきたのは、ほんのちょっとだけ。確かに、おしんが二度目の奉公に出るさい、銀山温泉で働く母ふじのところに立ち寄って、初めての母子水入らずの時間をすごし、ふじからその面影を宿すこけしを受け取って旅立つという、象徴的な意味あいの込められた重要な場面でした。しかし、銀山温泉の景観は、少女時代の思い出を辿っている老いたおしんの背景としてひっそりと佇んでいるだけでした。少なくともおしんのふるさとなんかではなかった!
旅の記憶からはスリップしてしまいますが、「おしん」は確かに名作です。3カ月かけて全編を見ましたが、何といっても橋田寿賀子の脚本が素晴らしい。連続テレビ小説の宿命と言うべきか、通して見るとちょっとしつこかったりするところもあるのですが、俳優たちも素晴らしく、こうした厚みのあるドラマは今なかなか見られないなあと思ったりしました。

  • 銀山温泉入口の和楽足湯
    [銀山温泉入口の和楽足湯]

大石田の駅から旅館の送迎バスで30分ほど。銀山温泉の入口から先は車で入ることはできません。午後2時。旅館の人がリヤカーに荷物を乗せて運んでくれますが、宿に至る川沿いの細い道は、すごい数の観光客です。結婚式の前撮り写真を撮っている人がいますし、テレビクルーの姿も見えます。この景観を見るために日帰りで訪れている人も多く、夜には天童温泉の宿泊者を対象としたバスツアーも出ているくらいですから、その人気のほどを知ることができます。温泉に泊まっている人を別の温泉にツアーを組んで連れて行く、そんな発想はふつう出てきませんね。
おしん人気が今も通用している筈はありませんから、このノスタルジー溢れる景観が人を呼んでいるのは間違いありません。では、銀山温泉ではひたすら「昔」を守ってきたということなのでしょうか。実は全く違っていました。
大正時代にタイムスリップという記述をよく見るのですが、銀山温泉のホームページに掲載されている大正時代の写真を見ても、さほど魅力的な佇まいをしているわけではありません。本当に鄙びているだけで、明治まで遡ると更に田舎の面影が強くなるばかりです。大正2年に起きた銀山川の大洪水で、殆どの温泉宿は流され、温泉の湧出量も減ってしまったという経緯を踏まえれば、大正時代の銀山温泉は、存亡の危機に瀕していたとさえいえるのかもしれません。

  • 銀山温泉 古山閣の鏝絵(昼)
    [銀山温泉 古山閣の鏝絵(昼)]
  • 古山閣の鏝絵(夜)
    [古山閣の鏝絵(夜)]

明治25年創業の能登屋旅館が建物を建て替えたのはそんなさ中の大正10年のことでした。昭和を迎えた頃には温泉の湯量も戻り、各旅館は一斉に3~4階建ての洋風建築に建て替え始めたと言います。鳳凰に桐をあしらった、鏝絵による開祖木戸佐左エ門の名乗り看板が能登屋を飾ったのも昭和7年のことです。温泉街全体の外観が今のような和風に戻ってくるのは戦後になってからで、昭和61年の銀山温泉家屋保存条例が風情ある旅館街を守ることに繋がっていきます。

  • 能登屋旅館(昼)
    [能登屋旅館(昼)]
  • 能登屋旅館(夜)
    [能登屋旅館(夜)]
  • 能登屋旅館二階の談話コーナー
    [能登屋旅館二階の談話コーナー]
  • 能登屋旅館2階からの銀山川
    [能登屋旅館2階からの銀山川]
  • 能登屋旅館四階望楼
    [能登屋旅館四階望楼]
  • 能登屋の名乗り看板(鏝絵)
    [能登屋の名乗り看板(鏝絵)]
  • ガス燈
    [ガス燈]

しかし、それは決して受け身の取り組みではありませんでした。どうしたら魅力的な温泉街になるかを、専門家の力を借りながら、地元の人町ぐるみで取り組んだ結果だったのです。温泉街の狭い道に車は入れなくなりました。一見不便になると思えることが、町を訪れた人に日常と異なる空間を提供することに繋がりました。街灯はガス燈に。温泉街の入口にあった共同浴場は移設し、温泉街の奥まで眺望が開けるようにしました。その跡には無料の足湯を配し、「足湯に入る客」の姿が自然に来訪者の眼に入るような演出がなされたのです。足湯の前にあるお豆腐屋さんは、外観からは何屋さんかもわかりにくいお店ですが、長蛇の列です。若い人たちが熱い生揚げ(長崎でいうところの厚揚げですね)を買って、道端でフーフー言いながら食べています。これも普通に考えるとなかなかいいお値段です。良い環境が整うと町中が活性化するというお手本のような気がしました。因みに、宿泊した能登屋旅館、ネットでの予約は殆ど無理。かなり早めの予約が必要ですが、こうした人気の温泉地としては信じられないような料金設定です。他のお宿もそうみたいですが、人気に便乗した価格設定をしないところが銀山温泉の人気をさらに高めているような気がします。

2月とはいえ、これまで経験したことのないと言われる暖冬の影響で、小雨は降っていたのですが空は明るい。それでも5時前にはガス燈が灯り、通りを埋め尽くしていた観光客の姿が少しずつ減りはじめると、銀山川の流れの音だけが辺りを覆ってくるのでした。

  • 夜の銀山温泉街
    [夜の銀山温泉街]
  • 人影も途絶えた夜の銀山温泉街
    [人影も途絶えた夜の銀山温泉街]

 

 

次回は2020年12月掲載予定です。

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