高橋憲一の旅ブログ

旅の記憶

太宰治の「津軽」⑧~ちょっと寄り道して最終章 角館

  • 角館内町
    [角館内町]

実際の旅程は、弘前に入る前にちょっと遠い寄り道をして、秋田の角館を訪れました。そして田沢湖を経て弘前に入り、奥入瀬を経由して青森空港から九州へ。太宰の「津軽」から離れてしまうので割愛しようとも思ったのですが、このコロナ禍で、次の旅にいつでかけられるか全く目途の立たない中、ひとつの区切りになるかもしれず、この最終章を書くことにしました。

角館を訪ねたのは、写真などで見る武家屋敷通りの趣きが、他とはちょっと違うと感じたからでした。実際に行ってみて分かりました。武家屋敷の並ぶ内町の通りの広さと、屋敷に植えられた樹木の大きさ。その二つが今までに見た武家屋敷と決定的に違うものでした。満開になった枝垂桜もさぞ美しいでしょうが、板塀の向こうにはどの屋敷にも樹木がうっそうと茂っていて、通りから屋敷の内を窺うことができません。敵の進路を阻むため鍵の手になっているところもあり、確かに城下町の道の造りをしているのですが、最近拡張工事をしたのではないかと思うくらいに広く、昔のままとは信じられないくらいです。

最初に訪れた石黒家は、佐竹北家に仕える勘定役を担っていた由緒ある家柄の建物です。当主より目上の人の出入りだけに使われる特別な玄関もあって、格式を感じさせますが、建物は昭和期に入ってからのものです。文庫蔵も明治・大正期のものですから、古さというより、建物が時代と共に変遷していったことを示す証人のような建造物といえるでしょうか。
次に訪ねた青柳家はおよそ400年の歴史を持つ名家で、建物は万延元年(1860)の頃だと言います。解体新書の挿絵を描いた小田野直武は姻戚関係にあり、庭園の中に胸像があり、紙芝居風の絵で、その生涯をわかりやすく説明していました。 岩橋家は中級武士の家柄で「たそがれ清兵衛」のロケ地となった家です。周囲が食事や土産物屋となっていく中、河原田家、小田野家などとともに、角館武家屋敷通りをその名どおりの武家屋敷通りとしていました。

  • 旧石黒家
    [旧石黒家]
  • 旧石黒家文庫蔵
    [旧石黒家文庫蔵]
  • 青柳家
    [青柳家]
  • 小田野尚武胸像
    [小田野尚武胸像]
  • 岩橋家
    [岩橋家]
  • 河原田家
    [河原田家]
  • 小田野家
    [小田野家]
  • 平福記念美術館
    [平福記念美術館]

平福記念美術館は、地元出身で、近代日本画の巨匠と呼ばれる平福穂庵(ひらふくすいあん)、百穂(ひゃくすい)父子の作品を展示する美術館です。佐竹北家家臣の屋敷跡に建てられたというコンクリート打ちっぱなしの建物は、とても瀟洒で、西洋風でありながら、周辺の屋敷に違和感なく溶け込んでいます。太宰の小説「津軽」の中に、長兄が娘婿に金屏風を見せている場面がありますが、その屏風に描かれていたのが穂庵の絵でした。

この日は、平福父子の常設展以外に、山田美知男展「縷縷(るる)」が開催されていました。山田美知男は、この展覧会ではじめて知った日本画家でしたが、これがまたとびっきり良かった。作品の撮影可でしたので、一番好きだった作品をご紹介できます。水たまりに映っている少女二人の鏡像を描いた「雨上がる」です。パステル画のようなタッチが柔らかで、一目でファンになってしまいました。

  • 山田美知男「雨上がる」
    [山田美知男「雨上がる」]

武家屋敷のある内町に対し、商家の町並みを残しているのが外町です。
「嘉永六年常陸傳安藤味噌醤油醸造元」の看板を掲げているのは、1853年創業の味噌醤油醸造元の安藤家です。常陸傳というのは、醸造技術を常陸国(現在の茨城県)に学んだという意味なのでしょう、今も現役の味噌醤油醸造元として営業しています。中には明治中期に建設された蔵座敷があります。蔵というと、普通はいろんな物を収納するところですが、ここは中が立派な座敷になっていました。初めて見るものです。

  • 安藤味噌醤油醸造元
    [安藤味噌醤油醸造元]
  • 蔵座敷入口
    [蔵座敷入口]
  • 蔵座敷
    [蔵座敷]
  • 田沢湖「たつこ像」
    [田沢湖「たつこ像」]

田沢湖のほとりに立つ、「たつこ像」は、永遠の美しさを求めた「たつこ」が龍となり、その湖に棲みついたという伝説に由来する像です。因みに、辰子の恋人は八郎潟の主、八郎。秋の彼岸の頃になると、八郎は田沢湖を訪ねて、たつことひと冬を過ごすので、主のいない八郎潟は凍りついてしまい、二人の龍神が住む田沢湖は、冬の間も凍らないのだそうです。
奥入瀬渓流は、十和田湖の源流となっている渓流です。苔とうっそうと繁る木々の間を、清流が幾重にも重なりながら流れていきます。三乱の流れ、阿修羅の流れ、白銀の流れなどと絶景ポイントのネーミングも巧みで、この景色に誰もが憧れる理由がわかります。

  • 奥入瀬渓流①
    [奥入瀬渓流①]
  • 奥入瀬渓流②
    [奥入瀬渓流②]
  • 八甲田連山
    [八甲田連山]

八甲田連峰を見ながら、青森空港に向かいました。途中立ち寄ったのが青森県近代文学館です。実は、弘前でも弘前市立郷土文学館に立ち寄りました。いずれも図書館に併設されています。
弘前市立郷土文学館の方は、太宰治以下10名の郷土作家の資料を常設展示。石坂洋二郎だけが別格扱いで、2階の一室が石坂洋二郎記念室にあてられていました。その他に方言詩コーナーがあり、朗読と映像によって津軽弁の詩を鑑賞できるようになっています。 青森県近代文学館では、太宰、石坂以外にも、三浦哲郎、長部日出雄、寺山修司など青森県を代表する13人(内7人が弘前市の文学館と重複)の作家の自筆原稿などを常設展示しています。特別展の図録発行や、資料の出版など、活動も活発なようです。なるほど、青森出身の近代作家ってこうして見ると多いんですね。
翻ってわが長崎は。出身作家ではなくゆかりの作家として「遠藤周作文学館」がありますが、郷土を代表する作家の資料を集めた文学館というのは、著名な作家が少ないのか、聞いたことがないように思います。現代作家だと著名な方が何人も思い浮かびますので、そんな人たちの資料を集めた文学館が将来できると、郷土のことを更に誇れるようになるかもしれません。
と、そんなことを考えながら6日間の太宰を巡る旅を終え、青森空港に向かいました。

太宰は昭和19年11月に刊行された「津軽」を、こんな言葉で締めくくっています。時代背景を考えるとすごいメッセージです。コロナなんてなんのその。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

 

 

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