高橋憲一の旅ブログ

旅の記憶

ロシア① サンクト・ペテルブルク~ピョートル大帝の拓いた街

  • 青銅の騎士像
    [青銅の騎士像]
  • 元老院
    [元老院]

バルト海東部、ネヴァ川の河口に広がるサンクト・ペテルブルクの町が創建されたのはおよそ300年前の1703年。ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味するこの街は、バルト海に開かれた港と要塞を築くために、ピョートル大帝が何もない沼地を埋め立て、人工的に拓いたものです。17世紀に成立したロマノフ王朝は1712年に首都をモスクワからこのサンクト・ペテルブルクに遷し、爾来1917年の革命の日まで、この街はロシアの近代化に少なからぬ役割を果たしてきました。

世界地図を開くとよくわかるのですが、いかに広大な領土を持つロシアといえども、ヨーロッパと結ぶルートは、アゾフ海から黒海に出て地中海を経由するか、フィンランド湾に出て、バルト海を通る、そのいずれかしかありません。しかし、前者にはトルコ、後者にはスウェーデンという大きな障壁がありました。最初はアゾフ海を目指しますが、それを困難と見たピョートルはトルコと和を結び、活路をバルト海に求めます。北欧の雄スウェーデンとの争いを決意したピョートルにとって、後にサンクト・ペテルブルクと呼ばれることになるこの沼地に港を開き、要塞を建設することが何としてもやり遂げねばならない急務となったのです。

沼地に運河を掘り、杭を打つ。その作業は過酷で、「エジプト的」な労働と非人間的な努力の集中を要求したといいます。膨大な費用と多くの人命を代償に、景観的にも計算しつくされた新しい都サンクト・ペテルブルクはこうして建設されたのでした。 ピョートル1世は首都を新都市サンクト・ペテルブルクに遷し、ロシアをヨーロッパの列強と比肩する国家にすべく、急速な西欧化を目指します。いかにも強権的な姿勢の目立つピョートル大帝ですが、その着眼と着想が、ロシアの近代化を促したことは間違いなく、今もロシア人に最も人気のある皇帝だといいます。身長2mを超える大男で、腕っぷしは強い上に器用で、様々な技術も手にしていたそうです。それに加えて私心なく、国家のお金を1ルーブルたりとも私することはなかったといいますから、なるほど人気の訳も分かるような気がします。

ロシアの国民的詩人プーシキンは、元老院広場に建てられたピョートル大帝像を見て、「青銅の騎士」という長編叙事詩を書きます。以来「青銅の騎士像」と呼ばれることになるこの像は、ピョートル大帝の遺志を継いだ女帝エカテリーナ2世の命によって1782年に完成したもので、碑文にはラテン語とロシア語で「ピョートル1世へ エカテリーナ2世より 1782年」と刻まれています。

 

  • 聖イサク寺院
    [聖イサク寺院]
  • 聖イサク寺院イコノスタス
    [聖イサク寺院イコノスタス]

 

  • 聖イサク寺院のステンドグラス「キリストの復活」
    [聖イサク寺院のステンドグラス「キリストの復活」]

青銅の騎士像がある元老院広場には1858年に完成した「聖イサク寺院」もあります。世界で4番目に大きい教会建築で(ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール大聖堂、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会だけがこれを凌ぎます)、ピョートル大帝の守護聖人である「聖イサク」に由来する教会です。

48本の花崗岩の円柱が目につきますが、高さ17m、直径1.8mのこの円柱はすべて1枚岩で重さ114トン。そもそも沼地の基礎の軟弱な地盤の上に建てられた教会ですから、柱を立てるだけで2年間の時間を要したそうです。

内部の祭壇はイコノスタス(イコンが配置された壁)で飾られています。ロシア正教ではステンドグラスが用いられること自体珍しいそうですが中央祭壇に「キリストの復活」のステンドグラス。それを挟むようにして左側に「マリアと幼子イエス」、右に「イエス・キリスト」のフレスコ画があります。それ以外はすべてモザイク画で、イエスの右が「聖イサク」です。上部には「最後の晩餐」や旧約聖書のエピソード、クーボラには「聖母マリアの栄誉」が描かれています。ドームの部分は回廊になっていて螺旋階段を上っていくと、美しいサンクト・ペテルブルクの街が広がります。写真では夜景のようになっていますが、時間はまだ夕方です。訪れた冬のサンクト・ペテルブルクは、朝明るくなるのも10時頃で、昼間も重い雲が垂れ込め、夕方4時になるともう暗くなり始めます。短い夏を待ちわびる心情が少し理解できるような気がしました。

 

  • 聖イサク寺院クーボラの「聖母マリアの栄誉」
    [聖イサク寺院クーボラの「聖母マリアの栄誉」]
  • 聖イサク寺院クーボラの回廊から見るサンクト・ペテルブルクの街
    [聖イサク寺院クーボラの回廊から見るサンクト・ペテルブルクの街]

 

  • 血の上の救世主教会
    [血の上の救世主教会]

サンクト・ペテルブルクに張り巡らされた運河沿いに、ロマノフ王朝末期を代表する建築物があります。「血の上の救世主教会」。何かの事件を記念して教会を建てることは古来、ロシアにもある伝統でした。ここで起きた事件は皇帝アレクサンドル2世の暗殺です。アレクサンドル2世は農奴解放を進めた皇帝ですが、改革が農民を更に苦しめる結果になったこともあって、急進的な「人民の意志」派活動家の投げた爆弾によって命を絶たれてしまいます。教会を建てさせたのは跡を継いだ息子のアレクサンドル3世です。聖堂の装飾には画家、石工、モザイク職人、陶工、エナメル細工師が参加し、25年の歳月をかけて完成させました。外装には大量のモザイク細工が用いられ、屋根には有色瓦と共にエナメル細工が使われて、新ロシア形式というロシア正教の伝統への回帰が試みられています。

 

この聖堂も1917年の革命後は、取り壊しこそ免れたものの、久しく倉庫として使用されていました。その後1970年に入ってこの建物も「聖イサク寺院」の組織下に入り修復が始まります。聖イサク寺院ともども、宗教施設ではなく国立博物館であり、現在もなお修復中です。

 

  • モザイクやエナメルを用いた新ロシア様式の外装
    [モザイクやエナメルを用いた新ロシア様式の外装]
  • 玉ねぎ型の屋根は蝋燭の灯を象徴している
    [玉ねぎ型の屋根は蝋燭の灯を象徴している]

 

 

次回は2020年2月26日(水)掲載予定です。

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