日田往還④~偉人の記憶が残る道(2)
街道歩きの楽しさは、景観もさることながら、そこにつながる歴史や物語を感じることにあるように思います。ですから、神社にしても由緒書きがないと、どのような歴史を持っているのか理解できず、ただ通り過ぎるだけになってしまいます。前回の「大膳杉」のように、大膳杉そのものより、大膳を主人公とした黒田騒動のことに意識が向かい、戻ってから鴎外を読み返すといった、街道歩きが思いがけない刺激を与えてくれることもあります。
街道歩きの醍醐味といったところでしょうか。
て、横を流れる筑後川を見ると、石畳を敷き詰めたような堰が現れます。山田井堰と呼ばれるもので、寛文3(1663)年、最初の原形となるものが造られました。筑後川に井堰を築き、樋を掛けて堀川を作ったのです。筑後川の水を堀川に流し、150haの開田が行われました。
その後、堀川の拡張など改良を加えながら、ついに寛政2(1790)年、藩命によって下大庭村庄屋古賀百工が、農民と共に石畳の堰を築くという大工事に取り組みます。急流に耐えられるよう、川の流れに対して斜めに堰を築き、堀川も広げて取水量を増やす試みです。筑後川の流れを南舟通し、中舟通し、砂利吐きという3つの水路で制御しました。百工によって整備された堀川には、三連水車もかけられ、田畑を潤していきました。
2019年12月に亡くなった中村哲医師は、2010年に山田堰をモデルとした取水堰をアフガニスタンに築造しました。現在では1万6500haの荒野を農地に変え、アフガニスタンの復興支援の灌漑用水モデルとして活用されています。
2021年2月、山田堰を展望できる場所に中村哲医師の功績をたたえる記念碑が建立されました。碑には、中村医師が古賀百工をしのんで詠んだ「濁流に沃野(よくや)夢見る河童かな」という句が彫られています。
山田堰を見渡せる場所に建つ水神社は、鳥居が筑後川に開く形で立っています。朝倉の総社である恵蘇八幡宮の前には、朝倉の関跡の碑が立っています。ここは、西暦661年、斉明天皇が百済救援のため朝倉橘広庭宮(あさくらたちばなひろにわのみや)に行幸された際、警戒のために関が設けられたところです。名乗りを上げて通れない人は、近くの隠家森(かくれがのもり)に夜まで身を潜めていたそうです。
隠家森から堀川の水車群、嘆きの森に立ち寄ろうと、少しだけ街道から外れた道を歩きました。隠家森に立っている大きな楠木は、樹齢1500年以上たつ全国8位の巨木です。 筑後川から山田井堰を経て引かれた堀川用水に架かる三連水車、三島の二連水車、久重の二連水車は、定期的に作り替えられ、今も現役で稼働している水車です。
「嘆きの森」という見落としてしまいそうな史跡が、堀川用水沿いの道から、街道に戻る角にありました。斉明天皇は、百済復興の戦いに備えている最中、滞在僅か75日で朝倉橘広庭宮で崩御してしまいます。ここは、その知らせを聞いた中大兄皇子(後の天智天皇)が嘆き悲しまれたと伝えられている場所です。
比良松の辺りは、日田往還朝倉街道の中でも、街道の面影を最も色濃く残している場所です。
舒翠館(じょすいかん)というのは、明治18年に建てられた公会堂で、現在も比良松公民館として利用されています。内部は一般公開されていないので見ることができなかったのですが、畳敷きです。明治25(1892)年の選挙干渉乱闘事件が起きた際、会場に700名、場外に2000名の群衆が詰めかけていたそうですから、外から見た感じよりは随分広いのでしょう。
厳島神社は、661年、斉明天皇が朝倉橘広庭宮に入って百済遠征の軍備を進められていた折、遠征軍の海上安穏と武運長久を祈願し、中大兄皇子に命じて創建された神社です。鳥居には、文政13(1830)年の銘が入っています。
甘木、依井を過ぎて久光の方に向かうと、右手阿弥陀ヶ峯丘陵の麓に仙道古墳の姿が見えてきます。石室に同心円文や三角文の装飾が描かれている装飾古墳で、「盾持武人埴輪」がほぼ完全な形で出土したことで知られています。朝倉地方は古墳も多く、飛鳥時代の話としては神功皇后伝説があちこちに残るほか、邪馬台国論争にも名乗りを上げています。
宝くじが当たる所ということで知られる当所神社(当所熊野神社)の近く、街道沿いに薬医門を持つお屋敷があります。この通りもなかなか風情があるのですが、このお屋敷については全く予備知識がなく驚きました。あとで調べると、国指定の登録有形文化財となっているお屋敷でした。江戸末期から昭和初期に建築・改修がなされた旧家で、敷地面積約4千㎡。主屋と離れを渡り廊下でつなぎ、隠居屋、蔵などが立ち並んでいるようです。「江戸末から連綿と伝わる歴史と旧家の暮らしぶりを今に伝える建造物群として貴重」と評価され、文化財登録されたようです。
線刻の美しい恵比寿像を眺めて、筑前国八大ため池と言われる松延池(松延池)を過ぎると、今回のゴール石櫃追分。ここから薩摩街道、長崎街道に合流します。
次回は2023年3月29日(水)掲載予定です。