高橋憲一の旅ブログ

旅の記憶

フランス③~シャンボール城

シャンボール城全景
[シャンボール城全景]

ロワール渓谷に建つ中世の城。ここだけはどうしても見たい、それも必ず中に入って見たい、と思っていたのがこのシャンボール城でした。この城は、まず美しい。それも入り組んでいて美しい。一番外側はシンメトリーを構成しているのですが、内部にはさまざまに異なる282本もの塔が建っていて、その全体が見事に調和しているのです。

ヨーロッパに美しい城はたくさんあります。白雪姫のモデルになったセゴビアのアルカサル、シンデレラのモデルになったドイツのノイ・シュバン・シュタイン城。確かに美しい城は他にもあるのですが、それらとは明らかに一線を画す重厚な美しさがこのシャンボール城にはあります。

それは築城の経緯によるところも大きいと思うのですが、フランスルネサンス様式とゴシック様式の見事に調和したこの城を、最初に建てたのはフランス国王フランソア1世でした。16世紀はじめのことです。最初にというのは、その後多くのフランス国王が手を入れ、17世紀ルイ14世の時代になって、426の部屋、77の階段、282もの塔をもつロワール随一の現在の形になったからです。

  • 南の主塔
    [南の主塔]
  • 屋上から見る塔
    [屋上から見る塔]
  • 塔頂のステンドグラスが陽に映える
    [塔頂のステンドグラスが陽に映える]

20歳で国王になったフランソア1世は、イタリアとの戦いの中で、レオナルド・ダ・ヴィンチと出会います。その頃のレオナルドといえば、教皇レオ10世から疎んじられ、イタリアでは以前のような尊敬を集められなくなっていたときです。当時のヴァチカンはミケランジェロと若きラファエロが活躍していました。レオナルドはフランソア1世の招きを受け入れ、フランスに移ります。

王は、自身が住むアンボワーズ城の近くに館を用意し、毎晩のようにレオナルドを訪ねて語りあかしたそうです。ソローニュ地方に建てる新しい宮殿のこと、運河改修の計画等々。レオナルドがソローニュ地方のロモランタンを訪れたときの調査記録や、プランが記された研究ノートが今に残されています。

レオナルドはこうして最晩年の3年間を、弟子や友人たちとこの地で過ごしました。

やがてレオナルドが死ぬと、王はシャンボールの森にレオナルドの発想を取り入れた城を築きレオナルドを追悼します。城の真ん中には、上がる人と下りる人が、互いに垣間見えることはあっても決してすれ違わない二重螺旋階段。(これだけはなんとしても見たいと思っていました)レオナルドが描いた理想の都市の階段を現実のものにしたのです。中央の塔の天井には、フランソア1世の王室文字である「F」と、火に棲むという伝説の生き物サラマンダーのレリーフが浮かび上がっています。

シャンボール城は、イメージを描いたレオナルドと、それを現実のものにした王、年こそ離れていましたが、同志であったふたりの共同作品でした。

  • ダ・ヴィンチの二重螺旋階段
    [ダ・ヴィンチの二重螺旋階段]
  • 二重螺旋階段の頂塔
    [二重螺旋階段の頂塔]
  • 三階広間
    [三階広間]
  • 三階広間天井のレリーフ
    [三階広間天井のレリーフ]
城の横を流れる運河
[城の横を流れる運河]

レオナルドは、よくロアール川の水の流れを眺めていたそうです。王と語った水路の設計に頭をめぐらしていたのか、水の流れに何かを見出そうとしていたのか、はたまた、心を癒す風景として無我のときをすごしていたのか。

シャンボール城から眺める広大な敷地と、運河。レオナルドが見ることのなかった景色の中に、一瞬レオナルドの視線を感じたように思いました。

テラスから見る広大な敷地 しかもこれが一方向のかつ一部
[テラスから見る広大な敷地 しかもこれが一方向のかつ一部]

そんなことを考えていると、大勢の子どもたちが運河を見渡せる3階のテラスに集まってきました。そのうちの2~3人をつかまえて、写真を撮っていると、次から次に別の子どもたちもその輪に入ってきます。それも一人ひとりが差し出すカメラを受け取って撮影したので、とんでもない騒ぎになってしまいました。それを見ていた仲間のひとり、あとから「大勢の孫たちに囲まれていたね~」

それを言うんだったら、その光景を撮っておいてよと思ったのですが、手元にあるのは数人との記念写真だけ。あの賑わいはどこにも残っていませんでした。嗚呼。

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